ホーチミンの古地図を時系列に並べて街の成り立ちを紹介するよ(後編)

map in 1950 ベトナムの歴史

前回に引き続き、ホーチミンの古地図とともに街の発展を紹介していきます。ここから20世紀に入ります!

前編をご覧になっていない方はこちらからどうぞ。

街が徐々に拡大~1923年

19世紀にはほとんど建物がなかった現在の3区あたりが徐々に開発されてきています。航空写真で今もまるっきり同じ姿を残すグエン・ティ・ミン・カイ高校をはっきり見ることができます。そしてそのすぐ近くには、あまり情報がないのですが競馬場が見えます。サイゴン新競馬場(Le nouvel hippodrome de Saïgon)というそうですが、そしたら旧はいずこ?

サイゴン新競馬場の貴重なお写真

また1914年に完成したベンタイン市場の姿もこの地図で確認できます。

サイゴンの街としては相変わらず川の内と昔の城壁があったところまでですが、その外にも周辺のフーニャン区やビンタイン区、4区やトゥティエムの川沿いにも集落が形成されてきています。

チョロン周辺も含めるとこんな感じ。川に沿って西側にも街が伸びているのと、やはり川の支流に沿って集落が少しずつできていっています。

衛星都市?も勃興~1936年

かなり広域の地図がありました。ちょっと見にくいかもしれませんが、サイゴンとチョロン以外にも地方の集落が育ってきています。東のトゥードックやビンチュン、北西方面には後にタンソンニャット空港ができるタンソンニャットやホクモン、北にはビンズン省の省都であるトゥーザウモットが形成されています。タンソンニャット空港はこのころぼちぼち完成しているころですが、見当たりませんね。。

またこのころ、ハノイから続く統一鉄道の終着駅となるサイゴン駅が現在の場所に完成しました。まだこの地図では認識できませんが、1942年の地図でははっきりと見てとれます。上の1936年の地図でもトゥードゥックやビエンホアを通って黒い線で描かれた線路が北へ続くのが辛うじて見てとれると思います。

とにかく見ててカワイイ地図~1950年

あまり紹介する事柄はないのですが、もうとにかく地図がカワイイ。。ピンクの路面電車がカワイイ。サイゴン大教会がカワイイ。ノロドン宮殿のフランス国旗がカワイイ。

…しいて挙げるとすると、なんか毎年のように閉鎖のニュースが流れる1区のオールドマーケット(トンタットダム市場/Chợ Cũ Tôn Thất Đạm)が70年以上前のこの段階で「オールドマーケット」と呼ばれているのが軽く衝撃です。永遠のオールドマーケットに幸あれ。

ホーチミン:1区中心部の「オールドマーケット」、22年に閉鎖へ

(追記。やばい、べとまるさんが8年前にかなりおんなじようなこと言ってた。)

南ベトナム発足、通り名がベトナム語に~1960年

1954年にディエンビエンフーの戦いに勝利し、フランスの支配からついに逃れたベトナム。サイゴンでは南ベトナムが誕生、ベトナム戦争の夜明け前を描いた地図です。このころ街の人口は142万人にまで膨れ上がっています(1961年)。1943年の50万人から18年間で3倍弱。。

今じゃ絶対考えられない通り名!

もはやサイゴンとチョロンは完全に繋がれ、ひとつの街になっています。ほぼすべての通りがベトナム語に命名し直され、現在にそのまま伝わる通り名もあれば、ミンマン通りなど今では滅多にお目にかからない(かかれない)通り名まで。あと、やたらĐại lộ(街道)が多い…!もしかしたらこのときのクセが今の呼び方の違いに繋がってるのかも?

1960年代。このころからバイクの数ハンパない

今と似たような行政区割りに~1973年頃

はっきり明記はされていないものの、郵便料金の説明の記載からして1972~1973年頃と考えられます。ベトナム戦争も終盤、徐々にサイゴン陥落へと向かう時期です。

ひとつ前の地図でもそうだったのですが、現在に近い行政区割りがなされており、3区・4区・5区・10区は完全に今と一緒の形です。当時は1区が1区と2区に、8区が8区と7区のふたつにそれぞれ分かれていて、現在の2区(トゥーティエムだけ編入!)には9の番号が振られています。ビンタイン区はその名前がまだなく、フーニャン区はここへきてもいまだに村(xã)扱いのまま。

一般的にサイゴンといえば現在の1区と3区を指すことが多いように思いますが、どんなに定義を広くしたとしても「サイゴン」と呼べるのはこのサイゴン陥落前時点での1~9区まででしょう。ということで、サイゴンパールやシティガーデン、Vinhomesセントラルパークにお住まいの方は残念でした(完全に個人の見解です)。

今のホーチミン市の原型となるような地域が「ザーディン省とサイゴン直轄市」として描かれています。

1969~70年頃のグエンフエ通り。現在のパレスホテルサイゴンや、グエンフエ書店が入っているビルが見えます

そして「ホーチミン市」へ~1990年

1975年にベトナム戦争は終結し、ベトナムは「ベトナム社会主義共和国」として新たな道を歩み始めます。サイゴンはホーチミン市に改名され、多くの通りは民族運動や革命・戦争に寄与した英雄、あるいは革命的な出来事の名前に姿を変えていきました。

これはホーチミンの名がだいぶ馴染んだと思われる1990年の地図です。フーニャン、ビンタイン両地域は晴れて区に昇格していますね、おめでとうございます。相変わらず7区は沼地のままで、地図にすら出てきません。それもそのはず、フーミーフンが大規模な造成を開始するのはこの3年後の1993年からです。

すでに15年以上前に区に昇格していたトゥーティエムですが、今回はなんかスポンサー紹介?的なスペースに割り当てられてしまってます。。こちらも長年のすったもんだの末ようやく開発が始まるのは、ここからさらに20年も先の話です。

個別の通り名を見てみると、Xô Viết Nghệ Tĩnh通りが今よりずっと長く、現在のNguyễn Thị Minh Khai通りをまるまる飲み込むかたちに。代わりにNguyễn Thị Minh Khaiは現在のパスター(Pasteur)通りに、タイバンルン(Thái Văn Lung)通りも現在のAlexandre de Rhodes通りにその名が付いているなど、いまとはビミョーに違っているのも面白いです。

交通量の増加に伴いドンコイ通りなど一部の通りに一方通行が適用され始めていますが、まだまだ数えるほどといった感じです。

ホーチミンの拡大はまだまだ続く!

これまで西へ北へと拡大を続けてきたホーチミンは、ここから先は上の地図で言及したように南へ東へと進んでいきます。その物語は、またの機会にまとめてみようと思います。

けっこうな長旅でしたが、お付き合いいただきありがとうございました~!

参考資料・画像引用元

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