おなじみの名前からあっと意外な人物、まさかの存命者まで?!~ベトナムの通りに名を遺した外国人

road board ベトナムの通り名

ご存じのように、ベトナムの通り名はベトナムの偉人か、ベトナムの歴史的な出来事がつけられていることがほとんどです。当然通り名を表す人物はベトナム人が大半…ですが、なかにはアルファベットににょろ(~)ややま(^)がない人たち、つまり外国人も混じっています。今回はそんな外国人の猛者たちをご紹介いたします。

ルイ・パスツール、アレクサンドル・イェルサン、レオン・チャールズ・アルベール・カルメット

いずれも、ベトナムにも拠点を置くパスツール研究所に関わるフランスの細菌学の権威たち。3者ともホーチミン1区にその名を冠した通りがあります。パスツールはパスター、イェルサンはヤーシンと呼ぶのがベトナム流。カルメットは…知らん。 くわしい外部リンク

ハノイにはパスツールとイェルサンの像もありますよ

アレクサンドル・ドゥ・ロード(Alexandre de Rhodes、1591~1660)

フランス出身のカトリック司祭、イエズス会宣教師。ベトナムではその宣教したのはもちろん、現在のベトナム語のラテン文字表記の方法であるクォック・グー(Quốc Ngữ/國語)を考案したことが大きな功績でしょう。ベトナムでそれまで使われていた中国由来の漢文やチュノム(Chữ Nôm)の習得には漢字の知識が不可欠であり、アルファベットを用いたクォック・グーはベトナム人の識字率向上に大いに寄与したといいます。

南ベトナム時代に発行されたドゥ・ロードの切手

彼の名がついた通りで最も日本人になじみがあるのは、ホーチミン1区のコロンビア・クリニックがある通りでしょう。僕自身、健康診断に行ったりデング熱で駆け込んだりしてずいぶんお世話になりました。4月30日公園を挟んだ向かいにはハントゥエン通りが並行していますが、クォック・グーをつくったドゥ・ロードに対し、ハン・トゥエン(Hàn Thuyên/韓詮)はチュノムを考案したことで知られています。

ダナンではドゥ・ロードと、同じくクォック・グーの成立に貢献したとされるポルトガル出身の司祭フランシスコ・デ・ピナ(Francisco de Pina)を通り名につけようとする動きがあったものの、フランスによる侵略の遺産だとする反対意見が出され結局実現には至らなかったようです。

アルベルト・アインシュタイン(Albert Einstein、1879~1955)

ホーチミン・トゥドゥック区(いまはトゥドゥック市になったのか)に突如現れるEINSTEINの文字。ベトナムとの関連性がまったく出てこないのですが、僕には無邪気にベロを出した特殊相対性理論のあのアインシュタイン以外のアインシュタインを知りません。完全な余談ながら、アインシュタインをEINSTEINと表記するとバック・トゥ・ザ・フューチャーのわんこ思い出しません?

バック・トゥ・ザ・フューチャーの冒頭のシーン。アツイ

バートランド・アーサー・ウィリアム・ラッセル(Bertrand Arthur William Russell、1872~1970)

イギリスの哲学者、論理学者、数学者、社会批評家、政治活動家。1950年にはノーベル文学賞を受賞しています。生涯に4度結婚しており、最後の結婚は80歳のとき、となかなかお忙しそうなお方です。

社会主義者であり、ベトナム戦争への批判運動を展開したことからベトナムの通りに名がつけられていると考えられます。彼の名がついたBertrand Russell通りは、ホーチミン7区のフーミーフンエリア内にあります。

ラッセルは親交のったアインシュタインとともに、核兵器廃絶・科学技術の平和利用を訴えた宣言文である「ラッセル=アインシュタイン宣言」を発表しています。やっとアインシュタインがちょっとつながった。

「不幸な人間は、いつも自分が不幸であるということを自慢しているものです。」なるほど

マーティン・ルーサー・キング・ジュニア(Martin Luther King, Jr.、1929~1968)

キング牧師。「I have a dream」から始まる、人種差別の撲滅を訴えた演説はあまりにも有名です。彼はまたベトナム戦争への明確な反対姿勢を打ち出した反戦演説「Beyond Vietnam(ベトナムを越えて)」を行いましたが、その4年後に凶弾に倒れています。

彼の名前も、Luther King通りとして7区・フーミーフン内の道に残されています。

こちらはドイツのマルティン・ルター通り(本項とは似てるけど関係ありません)

レイモンド・ディーン(Raymonde Dien、1929~)

フランスの共産主義者で、フランスによるベトナム再侵攻に抵抗した人物。1949年、パリ駅からベトナムへ武器を輸送しようとする車両を止めるため、自ら線路に寝そべりその動きを止め、逮捕・投獄されました。2004年にはベトナム政府から友誼勲章を授与され、またホーチミン7区フーミーフン内の通りに彼女の名前がつけられました。

が、実際の通りの名前は“Raymondienne”と誤って記載されてしまっているため、その表記を正そうとする動きがあるようです(どんな間違い方よ。)。ちなみにこの人、お亡くなりになったという情報がなく、ご存命の可能性大。お元気ならば2022年1月現在で92歳になっておられます。通りの命名に関する法令を読み込む限りは、存命中の人の名をとってはいけないというルールがないのでそういうことですかね。

日本語の文献がいっさいヒットしなかったので、もしかしたら日本語でのはじめての解説かも。

間違ったまんま靴の商品名にもなっとる

Raymondienne Shoes

ノーマン・モリソン(Norman Morrison、1933~1965)

前述のBertrand Russell通りの1ブロック先にあるMorison通り。これはベトナム戦争に抗議するためアメリカ・ペンタゴンで焼身自殺を遂げたノーマン・モリソンと考えられます。またスペル、ミスっとるがな。。なお、ダナンのモリソン通りはちゃんと“Morrison”になっています。モリソンの2か月前に同じくベトナム戦争に反対して焼身自殺したアリス・ハーズ(Alice Herz)もひょっとしたら通り名になっているかと思い調べてみましたが、こちらは残念ながら見つからず。

サイゴン新聞「そしていちばん大事なこと、スペルを間違えるな。MorrisonをMorisonと呼んだらそれは名誉でなく誹謗中傷です」

おわりに

終盤は比較的新しい住宅街であるフーミーフン内の、ベトナム戦争に反対した外国人シリーズになってしまいました。レイモンド・ディーンやノーマン・モリソンは、初めて聞いた人も多いのではないでしょうか?

ちなみに日本にも、クラーク博士通り(北海道恵庭市)、バレンタイン通り(千葉県千葉市美浜区打瀬)、マッカーサー道路(東京都港区、広島県広島市)、モーツァルト通り(東京都渋谷区原宿)、ペリー通り(神奈川県横須賀市久里浜)、トルシエ通り(静岡県森町)、エジソン通り(京都府八幡市)、グラバー通り(長崎県長崎市)、ザビエル通り(鹿児島県鹿児島市東千石町)など全国に外国人の名のついた通りがあります。

ベトナムが自国に(間接的であっても)貢献した人の名をつけているのに対して、日本は自国にとってのある意味侵略者であるマッカーサーやペリーの名前までつけているところが興味深いですね。ただし港区のマッカーサー道路はやはり占領期を想起させるという意見があり、公募を経て2013年に新虎通りに変更されています。

参考資料・画像引用元

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