ベトナムの通り名になっている、若くして散った英雄たち

sculpture ベトナムの通り名

ベトナムの通り名のモデルには、かなり若いうちに命を落としている英雄が実は少なくありません。今回は日本の幕末の志士のように、ベトナムを救うべく立ち上がりそして散っていった若き英雄たちをご紹介します。

ホー・チ・ミンの奥さんだった?~グエン・ティ・ミン・カイ(Nguyễn Thị Minh Khai/阮氏明開、1910~1941)

今回紹介するメンバーの中ではちょっと年上(処刑時)。ホー・チ・ミンの秘書となり、のちに交際、事実上の結婚状態にあったと言われています(ベトナム政府はこれを否定。別にいいじゃんね)。妹のグエン・ティ・クァン・タイもベトナムの独立運動の活動家で、あのヴォー・グエン・ザップ将軍の最初の妻にもなっています。大物ふたりを虜にしたグエン姉妹、恐るべし。

ホーチミンでは1区と3区を分ける通りとして、ハノイにはハドン区にグエン・ティ・ミン・カイ通りがあるほかハイバーチュン区にはミンカイ通りもあります。

26歳にして書記長を務める~グエン・ヴァン・クー(Nguyễn Văn Cừ/阮文巨、1912~1941)

ベトナム共産党の前身であるインドシナ共産党の書記長(トップ)を務めた人物。しかも選出当時26歳!他の党員より低年齢ながら、リーダーシップを大いに発揮したといいます。

ホーチミンでは1区と5区を分ける通りとそこから架かる橋に彼の名がついており、日本人にはホテルニッコーサイゴンが位置する通りとしてなじみ深いです。あと地味ですがビンタン区にも同名の通りがあります。ハノイでは旧市街からチュンズン橋を渡りロンビエン区に入るとそのままグエン・ヴァン・クー通りに繋がります。その他多くの都市の通りや学校にその名を残しています。

14歳の革命家~ヴォー・ティ・サウ(Võ Thị Sáu/武氏六、1933~1952)

女学生ながらゲリラ戦に参加し、14歳のときには手榴弾によってフランス兵13名を死傷させています。流刑地であるコンダオ島の刑務所で、19歳のときに処刑されています。彼女を信奉するベトナム人は多く、未だに多くの人がコンダオに参詣に訪れるそうです。

国民的英雄として、ホーチミンでは3区の通り名のほかその付近の坊(Ward)の名前にもなっており、ハノイではハイバーチュン区やハドン区の通りにその名前を残しています。

ホーチミンのバクダン埠頭にあるカフェでヴォー・ティ・サウの胸像を発見

自爆テロでフランスに抵抗~レ・ヴァン・タム(Lê Văn Tám)

自らガソリンを身にまとったまま火をつけ、弾薬庫を爆破したというなんともエキセントリックな少年。実在する人物かどうか確証がなく、生没年も不明となっています。

ホーチミンには1区に彼の名がついたけっこう大きいレ・ヴァン・タム公園があります。ハノイではハドン区の通りに、また各地にその名を冠した通りや学校があります。

若すぎる処刑~リー・トゥ・チョン(Lý Tự Trọng、1914~1931)

ここで紹介している英雄のなかでも特に若くして亡くなった人物、なんとそのとき17歳。当時のフランスの統治下では人頭税をかけるため16歳で成人扱いとしており、かつ白人に危害を加えたリー・トゥ・チョンは重罪をはたらいたとして容赦なく処刑されたわけです。

彼の名前はホーチミン1区に残されている(レタントン通りの一本裏)ほか、ハノイにはリー・トゥ・チョン公園に彼の立像があります。

ベトナム戦争に抵抗~グエン・ヴァン・チョイ(Nguyễn Văn Trỗi、1940~1964)

ここまで見てきたようなフランスへの抵抗ではなく、ベトナム戦争を画策した米軍高官の殺害を試みた青年です。下記のように、のちに自らの名前がつけられることになる通りに架かるCông Lý橋に地雷を設置している最中に逮捕され、拷問のすえ5か月後に処刑されています。

ホーチミンでは、タンソンニャット空港から中心部へ向かうときに必ず彼の名前がついた通りを通りますね。ハノイではタインスアン区、ハドン区の通りにその名がつけられています。

ハノイのトンニャット公園で見つけたグエン・ヴァン・チョイの胸像

バー・チェウ、ハイバーチュン、レ・チャン

こちらは20世紀ではなく、はるか昔に中国と高かった女傑たち。いずれも20代で命を落としています。

参考資料・画像引用元

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