【新たに300本超が爆誕!】ベトナムの通り名の命名は現在進行形

evening scene ベトナムの通り名

コロナに罹ってから10日が経ち、ようやく陰性判定が出て、昨日から晴れて外出できるようになりました。自宅隔離中は、クリーニングはおろか食事のゴミも部屋外に出せず、毎食運ばれてくる食事のゴミがベランダに溢れていきました。またベトナムでは「コロナに罹っている間にシャワーを浴びると症状が悪化する」という説がまことしやかに浸透しており、ベトナム人の同僚たちから入浴禁止令が敷かれたため、ここ数日入浴できないでいました。(科学的根拠はない、というベトナム語の記事を見せて対抗しましたが、それでもヤメトケとのこと。僕の体調を心配してくれてのことなので、おとなしく従っていました。)

↑を東京にいる妻に話したところ、「おフロ入れないおっさんがゴミに囲まれて暮らしてるとか超臭そう!そんな汚いのがダンナとかww せめてもの情けで娘には話さないでおいてあげる!ガハハハー」と電話越しで本当に3分くらい爆笑され続けました。我が家に笑顔を届けてくれたコロナ、ありがとう。。

はじめに

当ブログではたびたび、ベトナムの通り名にまつわる話題を色々と紹介しています。けっこう日本からこのブログにお立ち寄りくださっている読者さまが多く、「細かい通りの名前言われてもワケわからん」ということで実はあんまり読まれていないのですが(そして現在諸事情によりその多くを非公開に)、いつか読まれると信じて今日も通り名ネタを書いていくのであります。

さて、みなさんベトナムの通りの名前というのは「数十年前に、数十年とか数百年前の人物の名前をつけた」となんとなく感じていらっしゃるかと思います。たしかに、例えばハノイの旧36通りなんかは19世紀以前から今と同じ名前だったし(ただしフランス植民地時代はフランス名に変えられていた)、大半の道路は南北ベトナムが統一されたころに再命名がなされています。また、その名前を付けられた人物のなかには数百年前どころか紀元前の人や、もはや伝説の中だけで語られるお方まで含まれていたりもします。

しかし!同時にベトナムというのはいまだ発展が続いているエキサイティングな国でもありますよね。年々都市化は進み、ホーチミンやハノイといった大都市は、増え続ける人口を吸収すべく今なお拡大を続けています。当然、街の拡大とともにそれを支える道路も新たに整備されるわけで、2020年代に入ってからだけでもすでに少なくとも300を超える道と通り名がベトナム国内に誕生しています。今回は直近で誕生した若い通りを見ながら、最近の通り名命名のトレンドを見ていきたいと思います。

ホーチミン・ビンタイン区と2区を結ぶサイゴン橋。Vinhomes Central Park着工前だから2015年以前かな

ガンガン増える各都市の道路

2020年6月、リゾート地として有名なニャチャンではおよそ60もの新しい通り名が誕生しました。同年12月には、ホーチミン市が新たに224の通り名を承認しています。一気に224て!(そのうちおよそ150は、いまや観光地として地位を確立した「クチトンネル」で知られるクチ県の通りに付けられたものですが、残りは市内全土に散らばっています。)さらに2022年1月には、ハノイでも38の新しい通り名が爆誕する運びに。ざっとニュースに出てきただけでもこの2年弱の間に300本以上のニューフェイスが!こりゃあ名付ける方も大変ですわ。。

最近のトレンドは英雄から文化人へ

前出のニャチャンの例では、「新しい通りに馴染みのない人名が多すぎて住民が戸惑っている」という笑える報道が。詩人、医者、教授、ニャチャンが所属するカインホア省の英雄、をエリアごとにそれぞれまとめて名付けたそうなのですが、特に医者ゾーンとカインホア省特有の英雄ゾーンは知名度がサッパリだったようです。いや詩人はたしかにワンチャンわかるとしても、教授も大概知らんと思うぞ。

ホーチミンで注目を浴びたのは、同市の将来を担っていくトゥーティエム新都市の大通り4つに名付けられた人物。詩人のTố Hữu、現在でいう科学技術省の副大臣にあたるNguyễn Thiện Thành、記者であり革命家・政治家であったTrần Bạch Đằng、公安大臣であったBùi Thiện Ngộ、という面々となっています。ちなみに、いずれも他の省ではすでに採用されている人名でした。

ホーチミン市のトゥーティエム新都市に誕生したTố Hữu通り

今年のハノイの件については、全38通りが公開されていたのですべて調べてみましたよ。バッチャン焼という陶磁器で有名なバッチャン村を走るバッチャン通りや、ロンビエン区の「農業通り」というよくわからん通り(同区には既に「工業通り」もある)もありながら、判明した限りでは約半数の18の通りに人名がついていました。その内訳は、詩人・作家が4、政治家・役人が3、軍人3、医者2、実業家2、学者・音楽家・建築家・写真家各1という結果になりました。意外にも、あらゆる業界からまんべんなく人選されていますね。

このように、革命や国防にまつわる人物が今なお名を連ねてはいるものの、以前に比べると文化人の比率が上がってきていることがわかります。

ベトナムで2例目?夫婦そろって繋がった通りの名前に

近年でも増え続けるベトナムの通りとその名前。なかでもベトナム国民待望だったのが、今回ハノイに生まれたLưu Quang Vũ通り・Xuân Quỳnh通りという夫婦の名前を冠した、交差する2本の通り。ともに著名な詩人であり、1988年に彼らの息子共々交通事故でこの世を去ったこのふたりは、死去後間もないころから通り名にという声が少なからずあったようです。

2018年にハノイのオペラハウスで開催された、没後30年のイベントにて

これまでも夫の名前がついた通りはクイニョンに、妻のほうはホーチミンにあるほか、ダナンにはどちらの名前もそれぞれついた通りはあるものの、それらの位置は離れています。それがこのたびハノイではふたつの通りが互いに交わるように配置されたということで、極めて珍しいケースとのこと。記事では他の事例としてLạc Long Quân通り・Âu Cơ通りを挙げています。もっとも、こちらは伝説上離婚したことになってるんですけどね…。このふたりの間に産まれた100人の男子のうち、ふたりが離婚後父方についた50人の長子が、ベトナム史上最初の王朝とされる文郎国を建国した人物として有名な雄王(フン王/Hùng Vương)です。

おわりに

ということで、ベトナムにおいて通り名の命名というのは決して過去のものではなく、絶賛現在進行中の大事なお仕事だということがお分かりいただけたと思います。そして、なんとホーチミンだけでもあと3,000もの通り名が必要になってくるという…(要再命名400を含む。2016年10月現在)。次回はそのあたりの苦労を、命名する側の視点からみていければと考えています。

参考資料・画像引用元

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