昨日のハノイは久々の快晴でした。旧正月に入った2月以来、こんなにからっと晴れたのは数えるほどで、街中はたくさんの人で賑わっていました。
地元のブンチャー屋さんも大商いです。
さてさて、ベトナムといえばその商魂たくましい国民性。自転車やワゴンに山盛りの商品を載せて街を練り歩くおばちゃんや、この令和の時代になっても天秤棒を担いで売り歩くおばちゃんが未だに存在しています。この人たちはなぜ物売りをし、どこから来て、どのように生活を営んでいるんでしょう?先週まで、地元紙が1週間にわたってハノイの行商人にクローズアップして連載をしていたので、それら7本の記事をぎゅっと1本に凝縮してまとめてみましたよ。快晴の空の下撮影した写真とともにどうぞ。
行商人の一日
路上の物売りの朝はとても早いです。彼女たちは朝4時に起きて、卸売市場で商品を調達します。家族で営んでいる場合は、ダンナは調達と運搬(その後日中はバイクタクシーの運転手)、奥さんは行商といったように役割分担をすることもあります。扱う商品は本当にさまざまで、その人の出身地によっておおまかな特徴があります。フンエン省やハナム省出身の人は野菜やフルーツ、タインホア省の人は綿棒・ライター・カレンダー・キーチェーンといった雑貨、旧ハタイ省(現在はハノイ市に吸収)はほうき・バケツ・ハンガーといった具合。「ひとつの商品を売るな。トマトを買う人がいたらハーブとタマネギも売れ」というように、セット販売の工夫も必要になってきます。また、食べ物だったら暑い日には商品が腐らないよう、雨の日だったら例えばニンニクは発芽してしまわないよう気を配る必要があります。
商品が調達できたら、街へ行って販売開始です。出店する道に居を構えるお店の人にイヤな顔をされながら、また通行人の邪魔にならないように注意を払いながら、なるべく交通量が多くて周りに競合のいない場所を求めて歩きます。基本的に良い場所は早い者勝ちで、昨日と同じ場所が確保できるとは限りません。この道20年や30年以上のベテランさんも多く、彼女らは特定のエリアを持ち、固定ファンがついてくると売り上げのほかにもお客さんからお裾分けやお下がりをもらえることもあります。
食事は同じく路上の簡単な料理を買って、さっと済ませます。売り上げを少しでも伸ばすためには、お昼寝も最小限に抑えないといけません。その短い間にも商品が盗まれたりしないように、近くにいる仲間のおばちゃんに頼んでちゃんと見張っててもらう必要もあります。こういう仲間の存在は大切で、もっと売れる場所や公安の取り締まりがありそう(捕まると750~1000円ほどの罰金)な場所の情報共有、食事の都合などの相互扶助が不可欠になってきます。一族でひとつの通りを占拠して営業しているパターンもあります。
午後、人通りが少なくなってきたら、立ちっぱなしで疲れた足腰を癒すために一息つきます。座るのはもちろん、あのプラスチックでできたおフロ椅子みたいなアイツです。そして、彼女たちが仕事を終えるのは21時から22時。お客さんを逃すまいと、最後の最後まで粘ります。また、以上に述べた「朝型」タイプとは別に、熱々のチマキや点心を売る人たちの中には21時に開始し、深夜3時まで活動する「夜型」タイプもいます。深夜も働いているバイクタクシー、警備員、用務員などが主な顧客です。
数としては少なくなったようですが、未だに天秤棒を持った昔ながらのスタイルで販売を続ける人たちもいます。長い間この形でやってきた60代のおばちゃんや、どこかを怪我してバイクや自転車を運転できなくなってしまった人たちです。肩への負担はなんと30kg以上!中には鍋をかついでフォーを売るツワモノも少ないながらまだいるとのこと。。また、細かい路地の家々を回って、訪問販売をする人も。「街に小さい道と路地がある限り、このスタイルはなくならない」と、彼女たちは言います。
行商人の住まい
そんな彼女たちが稼ぐ儲けは、月に4~5万円ほど。その儲けを確保するには、当然住まいに余計なお金はかけられません。行商の人たちのみならず、お金がない人たちのスタンダードはルームシェア。通常3~4人、多い場合は10人を超える場合や、30人弱なんてケースさえあるようです。同居人が多ければ多いほど家賃負担は減り、物売りの人たちはだいたい月に2000円ほどを住まいに費やしているそうです。
ルームシェアをする上でもっとも大事になるのが、「信用のおけるルームメイトと住む」こと。個人の銀行口座が普及していないベトナムでは、現金を常に自分の身の回りで管理していないといけません。「枕の下に敷いていたお金まで翌朝になったらなくなっていた」という話もあり、特に稼ぎが少ない彼女たちにとっては死活問題です。そういったトラブルを避けるため、極力家族で一緒に住むか、そうでなければ出身地が同じ人たちで住むことがほとんどのようです。よそ者が仲間に入れてもらうためには紹介者の存在は必須で、そのうえルームメイトとの面談を経て自分が誠実で品行方正でいることを約束する必要があります。
そんな彼女たちの住宅事情は過酷です。トイレ・洗面台・シャワーが一体となった2㎡のバスルームを数人から十数人でシェア。部屋はタイル敷きで、冬場は段ボールを下に敷き、寝るときには足を伸ばすことはできません。もちろん、この過密な空間はコロナの危険と常に隣り合わせでもあります。水光熱費節約のため、料理は禁止。料理をしたければ自前でコンロを用意します。シャワーはお湯が出たり出なかったり。自転車の駐輪は月15円、バイクは月500円を別途支払います。
ここでも行商人たちはお互いに助け合います。いちばん先に帰宅した人が料理をし、後から帰ってきた人は彼女にお金を払ってそれを食べます。ガス代はみんなで出し合います。今日はこれが売れた、売れなかったという戦果を報告し合い、また朝早くから始まる明日に備えて眠りにつきます。
行商をする理由
彼女たちはどこから来て、そしてなぜ街で物売りをしているのでしょうか?置かれた境遇は実にさまざまではありますが、概して言うと「周辺省からの出稼ぎ」ということになります。郷里では農家を営んでいたが、親が病気で働けなくなってしまったり、子供が大学に行くための学費を稼ぐためというケースが多いようです。彼女らの夫は、バイクタクシーやトラックの運転手か、または一緒に行商をやっているパターンもあります。3人の子どもを女手ひとつで育て、田舎の子どもとはSNSでなんとか連絡を取り合っているというシングルマザーもいます。前回ご紹介した大学受験に励む学生たちのなかには、彼女たちの期待を一身に背負い、人生を一転すべくがんばっている子たちもいるのでしょうね。
おわりに
物売りのおばちゃんの生活は、予想できたことではあるものの、やはりなかなか大変なものでした。この記事の中ではうまく伝えられませんでしたが、だからといってそれは悲壮なものではなく、同郷の仲間とともに助け合って活き活きと暮らしている様子も伺えました。そして、次の世代は彼女たちの稼いだ学費でしっかりと学歴を身に着け、国の成長にも乗って豊かな生活を歩んでいくのでしょうね。彼女らが売り歩くこの光景が見られなくなるのも、そう遠くない将来なのかもしれません。
…最近書くことがどんどんマジメになってきたな。。次は何か面白いものを書こうかな。
参考資料
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