9月2日はベトナムの建国記念日でした。ホー・チ・ミンがベトナムの独立を宣言した日であり、そして偶然にも彼の命日でもあります。ベトナム国民にとっては数ある祝日のなかでも最も重要な祝日と位置づけられていて、また1年で最後の祝日でもあります。ここから4か月祝日ナシとかつらい。。
今回お友達にお声がけをいただき、今年最後の連休はベトナム北部のカオバン省(Cao Bằng)に行ってきました。……カオバン…?ベトナム延べ6年目にして初めて聞く地名であります。中国との国境に接する省で、54の少数民族のうち28もの民族が暮らす地域。ずかんコンプリートを目指すポケモンマスターだったら真っ先に訪れたい省ですが、実際は地球の歩き方に載っている47の地域のうち辛うじて46番目に登場する、超マイナーな目的地といえるでしょう。ベトナムに住んでなかったら絶対行かない。。
そんなカオバンですが、ベトナムとフランスが戦ったインドシナ戦争の代表的な舞台であるとともに、諸外国を周遊し共産主義活動を続けていたホー・チ・ミンが30年ぶりに帰国し、洞窟の中で革命構想を練り上げたというベトナム独立・建国の「聖地」が存在します。図らずも、その聖地へ建国記念日の当日に訪れるというレアな体験をしてきたのでリポートしたいと思います。旅行系の記事は本位ではないですが、多分に歴史的・政治的要素を含んでいるので自ら勝手に良しとします。
カオバンに至るホー・チ・ミンの半生
ここで建国の父、ホー・チ・ミンについてごくごく簡単におさらいしておきます。ベトナム独立の指導者としての姿はあまりに有名だと思うので、今回の記事に出てくる場所が舞台となるまでの半生に絞って超はしょって紹介していきます。
ゲアン省という貧しい地域に生まれたホー・チ・ミンですが、科挙試験に合格したスーパーエリートの父親のもとで中国語やフランス語を勉強します。しかし父子は時の阮朝、つまりはフランスに従事することを拒み、行き場を失ったホー・チ・ミンは船員となって海外の国々を回ります。ホテルのレストランで働きながら英語を学ぶために滞在していたイギリスにいたころ第一次世界対戦が勃発、そこで政治問題への関心を深めていきます。フランス滞在中にはロシア革命が起き、レーニンの著書に感銘を受けたホー・チ・ミンは共産主義に目指め、フランス共産党結成にも関わっています。
そして現在ベトナムを指導する共産党へと繋がるベトナム共産党を結成するも、滞在中の香港でフランスから強い要請を受けたイギリス警察により逮捕、約1年半もの間投獄を余儀なくされます。一度は仏領インドシナへの追放=死刑が決定されるも再審議のうえ釈放、しかし第一線には戻れずソ連にて4年間「学習生活」という名のもと冷や飯を食わされることに。このときホー・チ・ミンは既に44歳から48歳、散々遠回りをしたうえでの左遷はサラリーマン人生だったら確実に詰んでます。。その後中国で中国共産党や後に革命の同志となるファム・バン・ドン(Phạm Văn Đồng)やボー・グエン・ザップ(Võ Nguyên Giáp)と関係を深めているうちに、今度は第二次世界大戦が始まります。世界情勢の急展開を受けてついにベトナムに帰国を果たした舞台こそ、今回紹介するカオバンです。
建国の父を慕う人でいっぱいの僻地
さて、本題に戻ります。やってまいりましたカオバン。ハノイから旅の起点となる省都カオバン市までは車で6時間となかなかの長旅です。カオバン市の市街地はとってもコンパクトな町で、あんまり見どころはないです。。焼き栗がそこここで売っていて、それがなかなか美味しいです。
例の聖地はパックボー遺跡(Khu di tích Pác Bó)といい、カオバン市内から車でさらに1時間半。中国との国境まで直線距離で500mあるかないかという山奥にあり、一言でいうとバリバリの僻地です。祖国に30年ぶりに帰国したホー・チ・ミンがその潜伏場所として選んだのがここパックボーでした。ここで寝泊まりし時には魚を釣ったりしながら、当時ベトナムを占領していた日本に対する革命の構想を練ったとされています。第8回共産党中央委員会もここで開かれ、ベトナム独立同盟(Việt Nam Độc Lập Đồng Minh Hội)通称ベトミンの結成も決議されて、ホー・チ・ミンがその主席に就任したのでした。なお、中国共産党と連絡をとるため国境を越えて中国に戻った際、中国の秘密警察に逮捕され1年余りにわたって監禁をされたあとにもここパックボーに戻ってきています。
遺跡の入口には、ベトナム戦争時に北から南への物資補給ルートとして使われた「ホーチミン・ルート」の始点を示す碑が建てられています。
レーニン渓流(suối Lênin)にマルクス山(núi Các Mác)!共産主義のアロマがたいへん香ばしい。
そしてホー・チ・ミンが寝泊まりしていたというコックボー洞窟(hang Cốc Bó)へ向かいます。こんな僻地に誰が来るんだと思ったら、なんとびっくりすごい人出です。ディズニーランドさながらの大行列。ベトナム人の大半を占めるキン族のみなさんはもちろんのこと、共産党とともにベトナムの独立をかけて戦った少数民族の人たちもベトナムへの帰属意識は相応に強いそうです。
コックボー洞窟の出入口は特に狭く、人がごった返して芋洗い状態。人の流れを制御するスタッフもおらず「出る人優先」といったマナーもないため、とにかく体をねじ込んでいくしかありません。
洞窟の中はこんな感じ。出入口に比べると幾分余裕があるものの、フランス軍に追われる身でなければもう少し快適な宿に泊まりたいところです。
カール・マルクス像。マルクスを想起させる要素が何ひとつ見当たらないどころか、もはや人にすら見えないのですが、それほどまでにホー・チ・ミンがマルクス・レーニン主義に傾倒していたことが伺えます。巡り巡って自分が今ベトナムで仕事をさせてもらっていることに感謝の念を込めて、洞窟の中で手を合わせておきました。
どこからこんなに多くの人が
カオバン市内に戻ります。市内の目抜き通りは週末の夜間は歩行者天国になるという話だったのに、聞いていた時間になってもその気配はなし。ただし前日は余裕で空いていたレストランは早くから多くの人で賑わい、目をつけていたお店が2店とも満席で、少し外れのレストランに行くことに。そして食事のあと改めて目抜き通りに戻ってみたら…
なんじゃこれは‼︎ どっからこんなに湧いてきたんだ。。人口7万人ちょい(※2019年)のほとんどが外出てきてんじゃないかと思わせるほどの盛況ぶり。カフェやビアホイ(居酒屋)は今日が一年でいちばんの書き入れどきとばかりにせっせと客を捌いていきます。国境近くの片田舎に来てなお、改めてベトナムのパワーを目の当たりにしたのでした。
おわりに
本当にたまたま、建国記念日に建国の父ゆかりの地を訪れることになったわけですが、しかしとにかくホー・チ・ミンさんが今も国民に大いに慕われている事実を力強く実感することと相成りました。
フランスに従事することを拒んだために安月給に耐えながら世界各国を回って勉強し、逮捕されて事実上の死刑宣告を受けたり中年になって再教育を受けさせられたりと、革命前後はもちろんのことその前段階においても壮絶な人生を送ってきたホー・チ・ミン。彼は実際にベトナム人、特に貧しい人々に寄り添い、ベトナム独立の道筋を内外に示しました。共産主義を持ち込んだに功罪ついては評価が難しいとはいえ、世界各国でそれが失敗に終わるまでは人民にとって理想の未来図であったこともまた事実で、ホー・チ・ミンは共産主義そのものよりも民族自決を第一に考えていたともされています。
カオバンは他にも世界で4番目に大きい滝(ただし「国境にまたがる」、という枕詞付き)があったり、そこで中国との国境をちょろっと越えることができたり、サパに似た棚田の風景が味わえたり少数民族にも出会えたりと意外にも楽しめるところでした。日本から行くのはなかなかハードル高そうですが、ベトナム在住の方はいちど行ってみるのもよいかもしれません。……よっぽどの物好きでない限り行かないだろなぁ。。
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