ハノイの古地図を時系列に並べて街の成り立ちを紹介するよ(後編)

old street ベトナムの歴史

はい、前回に続いてハノイの古地図を順に見ていきますよ!前編はこちら。↓

ホーチミン編はこちら。↓

徐々に街が拡大~1942年の地図

まずは1942年の地図から。1928年の地図に比べて住宅地が着実に拡大しており、現在のトンニャット公園のほうまで下りてきています。その南側には大きな大学の設置が計画されていて、結局このようにはいかなかったものの、この界隈は現在ハノイ工科大学や国立経済大学など複数の大学を擁するエリアとなっています。

こちらもちょっとズームして見てみましょう。

いつの間にか旧市街の36通りも含めてすべての道がフランスの名前に。前回の記事でご紹介した路面電車の路線と停留所がよくわかります。1886年に完成したハノイ大教会(湖西側、7と書いてある場所)やインドシナ銀行(湖東側、3と書いてある場所。現在のベトナム国家銀行)、市庁舎(同56、現在のハノイ人民委員会)、図書館(4、現在のベトナム国立図書館)、1901年に開業したメトロポールホテルなども確認することができます。ホーチミンの中心部と同じように、当時の機能がそのまま現代まで継承されているものがけっこうありますね。

北爆前のハノイ~1960年の地図

続いて1960年。フランスの支配を逃れ、表記がベトナム語に。タンロン城跡地にはホー・チ・ミンが独立宣言を行ったバーディン広場ができています。

トーリック川の西側や紅河の東側も行政区に含まれ、それぞれ5区&6区、8区という区名がついています。その8区(現在のロンビエン区)にはザーラム空港が。1936年に開業し、ノイバイ空港が完成する1978年までハノイの空の玄関口を担いました。

1960年代はベトナム戦争に突入する時代でもあり、当時の写真は戦争モノばかり。ハノイもアメリカ軍の爆撃を受け、悲惨な光景が増えていきます。

1960年のハノイ。下の説明書きには「ハノイには交通問題なし」と書かれています。たしかに人が少ない!

ベトナム戦争終結~1979年の地図

こちらはベトナム戦争終結後の1979年。といっても前年の1978年にはカンボジアに侵攻し、国際的に批判を浴びています。地図はなぜかロシア語で書かれており説明がさっぱりわかりません。フランス語だったら単語を読み取って翻訳できるからいいけど、ロシア語は文字の読み取りすらできない。。そこら中にあった湖たちはどんどん埋め立てられ、街は陸続きに南へと拡大を続けます。

地図中に見える黒い建物群はなんなのでしょうかね??当時はともかく現在は何かをチェックしてみると、それぞれVincom Ba Trieu、Vinhomes Times City、Vinhomes Royal Cityと、ハノイを代表する大型物件に置き換わっていました。そりゃそうよね、2010年代に入ってあんな大型な商業開発をハノイの街中でしようと思ったら、一筆モノしかありえないですね。そしてそれらを総取りできるVin Group、さすがです。。

地上のマンション群もさることながら、東南アジア最大級の地下商業施設を擁するVinhomes Royal City。常設のアイススケートリンクまである

もはや「河内」に開発余地なし~1992年の地図

1986年に発表されたドイモイ政策がようやく効果を発揮しだす頃。ここからベトナムは大躍進を遂げることになるわけですが、ハノイ中心部は既に開発余地がない状態。旧市街の堤防と紅河の間ですら、びっしりと建物が埋め尽くしています。紅河を渡ろうにも、ロンビエン橋のすぐ南に完成したばかりのチュンズオン橋が架かるのみ。ハノイが日本など外国勢の支援を受けて橋や高速道路、環状線などの交通インフラを進めていくことになるのは2000年代になってからですが、そこからハノイの拡大はさらに拍車がかかります。

いきなり面積が3倍に~2008年の地図

ここでこれまでとはちょっと違う視点を。2000年代に入り、ベトナム政府は首都ハノイを国際的に競争力のある街へと発展させるため、周辺省を編入する決断をします。そして2008年、ハノイはハタイ省全域とホアビン省・ヴィンフック省の一部と合併。面積は900㎢から3,300㎢へと3.6倍以上に、人口は300万人から倍以上の640万人へと跳ね上がることになります。

ちなみに現在のハドン区は、旧ハタイ省の省都でした。それもあるのか、ハドン区の道の名前には歴史的人物の中でもハノイ中心部で使われているような大物が使われていたりします。これはハノイに限った話ではなく、かつて旧サイゴンが旧ザーディン省と合併してホーチミン市ができたときにも同じ現象が起こっており、結果同じ市内の別の区に同じ通り名があるというややこしいことになってます。

2019年にはベトナム最大面積のイオンモール ハドンもオープン

おわりに

上で述べたように、ハノイは2010年代に差し掛かるあたりから交通インフラが拡充され、街がさらに東西に拡大を続けています。そして2021年11月には10年近くの工事の末ようやくベトナム初の都市鉄道が開業、後続の工事も進むなど近年目覚ましい発展を続けています。その辺の特集も機会をみつけて。

日本の高度経済成長期を体験できなかった世代としては、外様ではあるにせよこの成長を目の当たりにしていけるのはとても胸が躍るものです。街の成長とともに、僕のまわりのベトナム人は僕を置いてどんどんと金持ちになっていくけどさ。。

参考資料・画像引用元

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