ホーチミン中心部のサイゴン川沿いを走っていると、やたらと目立つ広場にそのへんを指さしているおっさんの銅像が見えますね。「あれ、誰?」
ベトナムに長く住んでいる日本人の中でも、意外と知らない人いるんですよね。実はこの人、中世ベトナムを外敵から3度も救ったという、ベトナム史上最大の救世主オブ救世主、メシアオブメシアなのです。他のスポーツにファンを奪われつつある米球界に突如現れた大谷翔平なのです。それが転じて我が日本をも救うことになるという…。
その功績を称えられ、旧南ベトナムでは500ドン紙幣の肖像になり、また不妊・難産を退治する神として信仰されてもいます。
ホーチミンではベンタイン市場からチョロンへ繋がる道として、ハノイではハノイ駅の正面に突き当たる中心街の道として、また全国各地でも有名な通りの名前になっています。
データ
- 名前:チャン・フン・ダオ(Trần Hưng Đạo/陳興道)
- 生没年:1228~1300
- 時代:陳朝
- 出身地:クアンニン省
- 名前を冠した通りの所在地:1区他(ホーチミン)、ホアンキエム区(ハノイ)
- 一言でゆってよ:モンゴルを3回やっつけた人
はじめに
時は陳朝。ベトナムの歴史は中国支配の歴史とも言えるのですが、当時世界を支配していたのは最強の帝国、モンゴル。チンギス・ハンとその末裔はラムの鉄板料理をほおばりながら(知らん)、最盛期には西は東ヨーロッパからトルコ、南はアフガニスタン・チベット・ミャンマー、東は中国・朝鮮と、実に地球の陸地の約25%を統治していました。
五代目フビライ・ハンは中国に元朝を創建、初代皇帝に就きます。ミャンマーやカンボジア・タイ、はたまた日本にも侵攻し、同時にベトナムにも攻め入ります。かたや人類史上2番目の巨大さを誇るに至る大モンゴル帝国、かたやさんざん中国にいじめられてきたアジアの小国ベトナム。力の差はFIREを見るより明らか…(経済的自立・早期リタイヤ、いいなぁ)。
そんな国の危機的状況に立ち上がったのが、智勇に優れた将軍チャン・クォック・トアン(Trần Quốc Tuấn/陳国峻)。のちにチャン・フン・ダオと呼ばれる人物です。※以下チャン・フン・ダオで統一
1度目&2度目の侵攻
最初の来襲は一気に首都タンロン(ハノイ)に攻め込まれ、あっさり落城。しかし現地では食糧の調達に苦労し、はげしい暑さに耐えかねて撤退を決めた元軍をチャン・フン・ダオはとことん追撃、見事に駆逐しました。一見すると背中を向けた相手に飛び蹴りを喰らわしたようにも感じますが、リングの中じゃないのでよしとしましょう。
そこから四半世紀、元はまたもベトナムに侵攻します。大軍を率いる元の猛攻に、ベトナム側は敗戦に次ぐ敗戦。陳朝皇帝は降伏を考えますが、チャン・フン・ダオは「降伏するならその前にわたしの首を差し出してほしい」と答え、抵抗の継続を決心させます。
このアンパンマンのような奉仕の精神により鼓舞されたチャン軍は各地でゲリラ戦を繰り広げ、ついには首都を奪還、またも元の撃退に成功します。ベトナム戦争の際、(北)ベトナム軍がアメリカ軍にゲリラ戦で大きな成果を上げたことは有名ですが、そのルーツが700年近くも前にあったとは驚きですね。またチャン・フン・ダオの「軍は一致団結し、しぶとく、また一気に敵を攻撃すべし」といった遺言は現代にまで語り継がれ、フランスからの独立戦争やアメリカとの戦いにおいてもベトナム人を奮い立たせたと言われています。すごいぜチャン・フン・ダオ。
3度目の侵攻と白藤江の戦い
2度目の撃退から数年と経たないうちに、フビライと元は早くも3度目の進軍を仕掛けます。またしても首都は陥落しますが、ベトナムもゲリラ戦で必死に応戦。住民の焦土作戦(土地を追われる際に食料を隠して敵にとられないようにする)と、元の補給部隊を打つ方法も功を奏し、元は3たび撤退を余儀なくされます。
帰路につく元軍を迎え撃ったのがチャン・フン・ダオ。チャン軍は潮の干満差が激しいバクダン江(Bạch Đằn Giang/白藤江)で元軍を待ち伏せし、干潮時に多くの木杭を打ち込んでいました。満潮から水位が下がり始める時間に元軍をおびき寄せ、潮が引くにつれて元の艦軍は杭が引っかかり身動きがとれない状態に。そこにチャン軍が小舟で一気に攻撃を仕掛け、チャン軍は歴史的な勝利を収めます。頭いいー!現場付近の地理に詳しい人物の犯行ー!
この木杭ハメハメ作戦は、なんと350年前に同じ白藤江で、ゴー・クエン(Ngô Quyền/呉権)が南漢軍を迎撃する際に使われた戦術であり、チャン・フン・ダオはそれに倣ったと言われています。ひとつの戦術が時を超え、ふたりの英雄の手により外敵から国を救った――。まるで映画のような話ですが、それもそのはず、後世の歴史家がふたりの戦法を混同したというのが現在の有力な説とのこと。。
なお陸路では、ホーチミンのバックパッカー街にある通り名としても有名なファングーラオ(Phạm Ngũ Lão/范五老)の活躍により、こちらもチャン軍が勝利しています。
おわりに
元はこの3度の敗北によって、日本への3度目の侵攻を断念したと言われています。たしかに、日本への侵攻よりベトナム征服を優先したため日本侵攻を中止した、というのは事実のようです。実際にはこの断念のあとも元は日本への侵攻を何度も考えているものの、結局実現には至らなかったことからも、チャン・フン・ダオが日本の危機を救ったと言っていいかなと思います。
しかしフビライしつこいな…モテなかったんだろうな…。
僕はベトナム史のなかでも、このゴー・クエンからチャン・フン・ダオの、350年の時を経て受け継がれた戦法によって外敵を撃退したというストーリーがとても好きです。今回執筆するにあたりどうやら後の創作っぽいことが判明してしまいましたが、アンパンマンチャン・フン・ダオの偉大さが変わることはありません。
もうひとつ大好きなストーリーとして、グエン氏唯一の生き残りがかたきを取り阮朝を成立させ、現在ベトナム国民の4割を占める一大名字になるまでに拡大した話はまたの機会に書きたいなと思います。
さあみんな!コロナが明けたら旧500ドン札握りしめてチャン・フン・ダオ像に指さされに行こう!そして見えなくなるまでは背を向けないで!飛び蹴りされるよ!
参考資料・画像引用元
- 物語ヴェトナムの歴史 一億人国家のダイナミズム(小倉貞男著、中公新書)
- ベトナムスケッチ
- ハノイ歴史研究会
- Wikiland
- BẢO TÀNG LỊCH SỬ QUỐC GIA
- manhhai
- Wikipedia
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